お弁当。
小学生の頃は遠足や運動会などのたまのハレの日のご馳走に。
給食がなくなった高校時代にはお昼ご飯に。
そして、今は仕事の休憩時間に。
生まれてから、今の歳になるまで常に僕の生活のそばにあったお弁当。
そんなお弁当、今では世界で日本語そのままに「BENTO」と呼ばれるほど人気になりました。
日本独自の文化でありながら、世界に広がりを見せている「BENTO」
そんな「BENTO」をコミュニケーションやデザインの視点からとらえ、その魅力を再発見させてくれるデザイン展「BENTO展」が上野の東京都美術館で開催されていて、なんと今日で最終日。
閉館2時間前になんとか行くことができました。
実は時間の関係でギリギリまで迷ったけど来てよかったBENTO展。
弁当の形には国の、中身にはその家庭の素が顔を覗かせます。
今日はインドの弁当箱 pic.twitter.com/kPKfekU9qn
— りゑ (@___wk) 2018年10月5日
(昔の弁当箱や世界の弁当箱のコーナーは写真が撮れなかったため、イメージに近いものを引用しています)
弁当という箱の中に詰まってるのは優しさだったり、冒険だったり、繋がりだったり。
それが幾重にも重なって、蓋を開ける度にあらわれる宝箱のような弁当。
当たり前の中にある新しい発見。
自分で詰めたはずなのに開けるのが楽しみになってしまう、まるでタイムカプセルのような弁当の魅力。
形や機能の後ろに見えてくる、それを使う人々の姿。
そして、弁当に込める食べる相手への、作り手の愛。
たかだか十数センチ四方の小さい箱なのに、その中には無限の可能性が広がっていました。
今まで当たり前だと思っていたものの中に新しい発見と物語を見せてくれた「BENTO展」
きっと、これから弁当を見る度に「妖精が語りかけてくるんじゃないか?」と思ってしまいます。
BENTO展が僕の日常にかけた魔法はもうしばらく解けなさそうです。
自分で作る弁当ではありますが、明日の弁当が今から楽しみで仕方ありません。
BENTO おべんとう展ー食べる・集う・つながるデザイン|東京都美術館
BENTO展で印象に残った展示やフレーズ
ここから先は個人的に特に印象に残った展示や言葉を自分用に記録。
自分に分かるように書いているので、説明足らずな部分もあるかもしれないけど、何かしら雰囲気を感じてもらえたら嬉しいです。
弁当はコミュニティをつくる装置
展示の壁面に書かれていた言葉。
「そんな事考えもしなかった!」と衝撃を受けました。
たしかに、お弁当を囲んで皆で輪になって食べたり、おかずを交換しあったりなんかしちゃって。
けっして強くはない、弱いゆるやかな装置だけど、それがまたいいですよね。
自分で作った弁当なのにフタを開ける時ワクワクする。
こちらも同じく壁面に描かれていた言葉。
そうなんだよ。なんでだろうね。
出来立ての料理を食べるのとは違った、ふたを開けるまでの物語が弁当にはあったりするよね。
のり弁の、のりが開けたフタの裏にくっついちゃってたり。
おすそわけ横丁
これは別で記事を書きたいくらい素敵な試みだった。
おすそわけする人は家からおすそわけするものを持ってきて、係りの人に渡します。
すると、そのおすそわけのものはバザールに並べられます。
おすそわけされる人は、その中から1人1つまで欲しいものをかごに入れて受付にもっていきます。
すると、そのものをもらえる仕組み。
こうやって、おすそわけの輪がつながっていくわけです。
人生で初めて言われましたよ。「おすそわけされてください」って(笑)
お金を介さない、物と気持ちのやりとりなんとも心地いい。
そして、おすそわけしてくれた人はシートにおすそわけしてくれたものについての説明などを書いてくれていて、それもみる事が出来るんです。
何も知らなかったら、ただの中古品かもしれない。
けど、そこにその人のモノへの思いや今まで使われた物語がのっかることで、なんとも言えない温かみみたいなものを感じるんです。
「やったー。ただでモノが手に入ったー。」という事ではなくて、物と気持ちの物々交換。
これは以前行った参宮橋の手帳類図書室に似た物語性を感じて、正直一番しびれました。
弁当箱の物語
弁当箱のフタを開くと、そこには美味しそうなおかずとご飯が。
と、思ったら急に暗くなって男の子の顔が。
これはアート作品でそれぞれ弁当箱に書かれたテーマの映像が流れる。
弁当箱の中は無限大だけど、こんな世界の膨らませ方は面白い。
同じ展示室内にはその映像作品のメイキング映像を流す大きな弁当箱スクリーンもあった。
弁当の可能性は計り知れないね。