「需要がないものは売れない」
こんなフレーズをよく目にする。確かにその通りだろう。
しかし、このバッグは、私自身に強烈な需要がある。誰かではない。私にだ!
だから私と同じ価値観の人を50人探せばいいのだ。
落語家の中でもかなり変わったライフスタイルを送っている「立川こしら」さんの著書『その落語家、住所不定。タンスはアマゾン、家のない生き方 』
その中からの引用なのですが、これってバッグに限らずブログも同じなんじゃないだろうかと思いました。
そこで、このブログでも実験的に自分に強烈な需要がある記事を書いていこうと思います。
自分に強烈な需要があるものを作れば、数は関係なく幸せなんじゃないか。
欲しい人を見付けてから商品を作る。
検索キーワードをピックアップしてから記事を書く。
需要のあるところを見付けて、それから逆算してモノづくりをするのがセオリーとされる中、このやり方というのはどうも自分には合わなくて楽しくありませんでした。
自分が書きたいことをそのまま書いたら読んでくれる人を、需要から逆算して書いたら自分の心が置いてきぼりになりました。
そもそもブログなんて自由なんだから、好きなことを好き勝手書けばいい。
だけど、それでも多少は人に読まれたいというスケベ心はありました。読まれる為には読みやすくて、役に立つものを書かないといけない。
そこで出会ったのが、冒頭の文章。
自分に強烈な需要があるものは、それがたとえ他の人に必要とされなくても、自分が強烈に欲しいものだから自分の心が喜びます。
その上、自分と同じ価値観の人に届いて、もしも繋がれたならそれはとても幸せなことだと思うんですよね、その数を問わず。
自分に向けて記事を書けば、もしかしたら三方良しの記事が生まれるのかもしれないなんて思いました。
「~したい」と「~が欲しい」はまったく別物。
「~したい」って欲求は自分の場合、溜まった思いを発散するもので例えばそれによって書かれた記事って書いたことでスッキリしたいだけだったりします。
だから、後になって読み返してみると割と読むに堪えないものだったりすることもしばしば。うへー、これを読むのキツイってな感じで。
もちろん、それを書くことが悪とは言いません。
「書きたい」ように書くことで救われる思いは間違いなくあるし、それが「ガチャン!」とまるで交通事故のように、自分以外の誰かの心にクリティカルヒットすることもある。
でも、それがずっと成り立つのって多分天才って呼ばれる人たちだろうし、自分は天才ではありません。
だから、もし自分の作ったものを多くの人に見てほしいのなら、自分が「読みたいもの」と「書きたいもの」の違いを考える必要があるな、と。
そういえば、編集者としてテレビや雑誌に注目されている箕輪厚介さんは著書『死ぬこと以外かすり傷』の中で
今こういう装丁が売れてるとかはいい。自分がこの人のこういう姿が見たい、という思いから作った
というような事を書いていました。
あの少女漫画の金字塔『ガラスの仮面』も作者の美内すずえさんが「読みたい漫画を自分が描いて、それを読めばいいんだ!」という思いから始まりました。
「自分が○○したい」と思って、消費したところで何も生み出さない。
だけど、「自分が強烈に○○が欲しい」と思って生み出したものは、自分と同じ価値観の人にもしかしたら響くのかもしれません。
最後に「その落語家、住所不定。」はオススメなので読んでほしい。
というわけで、すぐには書けないと思いますが、自分に需要がある「読みたい記事」というのも今後実験的に書いてみようかなと思います。
ちなみに、記事の冒頭に紹介した本「その落語家、住所不定。」は面白いので是非読んでほしいです!
その落語家、住所不定。 タンスはアマゾン、家のない生き方 (光文社新書)
特にミニマリスト、マルチポテンシャライト、デュアルライフに興味がある人は絶対に読んで損はないと思います。
落語という古典芸能と、ミニマリストやクラウドファンディングなどの最先端を使いこなす落語家というのは多分世界でこの人だけなんじゃないだろうか。
異なる視点を持つ人だからこその発想があって面白いのでオススメです。
この本について話した音声はこちら。