先日、とても共感した投稿がありました。
本が持つ「遅さ」は、いつか代えがたい価値になると信じている 速いことだけが絶対の正解ではない
まさにその通りだと思います。
動画の倍速視聴、LINEでの短いやりとり、本の要約チャンネル。効率よく情報を処理することに慣れすぎてしまった僕たちは、いつの間にか『遅い』ことに耐えられなくなってしまったのかもしれません。
でも、だからこそ『遅さ』の価値はこれからますます大きくなるのではないか、とも思います。
そんなことを考えていたら、久しぶりにガラスペンを手に取りたくなりました。
棚の奥から引っ張り出したガラスペン
ずいぶん前にセリアで買った、100円のガラスペン。実は以前から時々使っていたのですが、子どもが生まれてからはすっかりご無沙汰になっていました。
久々に取り出して、インクをつけ、ゆっくりとペンを走らせる。すると、改めてその『遅さ』が心地よいことに気づきました。
インクを含んだペン先が紙の上をすべる感触。細い溝に染み込んだインクが少しずつ減っていく様子。書き終えた文字が乾いていく時間。そのすべてが、デジタルでは味わえない『書く』という行為そのものの豊かさを思い出させてくれます。
特に、インクをつけ直すたびに一息つく感覚が好きです。せわしない日常の中で、自然とペースが整えられていく。急がず、焦らず、目の前の言葉とじっくり向き合う時間。パソコンやスマホで速く文字を打つことでは得られない、そんな感覚がそこにはあります。
『遅い』は贅沢になったのかもしれない
ターコイズブルーのインクをにじませながら、ふと考えました。
『遅い』は、もはや贅沢になってしまったのかもしれない。
忙しさに追われ、効率を求めるあまり、『遅さ』を味わう余裕がなくなっている。でもだからこそ、あえて『遅く書く時間』をつくることには、特別な意味がある気がします。
ほんの数分でもいい。ペンを持ち、インクをつけ、言葉をひとつずつ綴る。そんな時間を楽しむことが、心のバランスを整えてくれるのかもしれません。