大きな不幸がなくても、消えたくなる気持ちは分かる。

当ページのリンクには広告が含まれています。
  • URLをコピーしました!

Skyrocket Companyのアフターアフター会議第69回で本部長こと、マンボウやしろさんがこのような事を話していました。(聞いた上で僕がまとめたものなので、多少意味が変わってるかもしれませんが)

死のうと思う人には、おそらく2つのタイプの人がいて、
「死にたい、逃げたい」って思う人と、
徐々になにも無くなっていって死との距離が曖昧になって死を選ぶ人、
に分かれる。
僕は大人になって、後者の方がよっぽど分かる。

お仕事に対して興味がなくなってきたり、誰かとご飯にいくことに興味がなくなってきたりとか。
そういう風な感情になってきたら「死にたい」って感情じゃなくて、「何にも無くなっていく」というか、心が動かなくなっていく。
体と同じように心にも筋力があって、それが低下していって亡くなってしまう人はいるんじゃないかって思う。

結構世の中にそういう人いると思いますよ。

これ、めちゃくちゃ分かるんですよね。

この1年がまさにそうで、ゆるゆると自分の中の何かが死んでいく感覚があります。

疲れなのか、歳なのか、仕事の忙しさなのか、はたまたそれら全部なのか。

最初は「しんどいなあ」「辛いなあ」と思っていたのだけど、それを超えると好奇心がなくなっていったんです。

そして気付けば、家⇔会社が世界の全てになっていって、そこから段々と感情の起伏はなくなっていって、腹の底から笑う事や楽しいと感じる事もなくなっていました。

「これはまずい。なんとかしないといけない」と思い、何か行動を起こさなければと思い、趣味を再開することに。

でも、その頃には行動を起こす体力も気力もだいぶなくなっていて、趣味をするのにもかなり体力を消耗する。

結果、息抜きをしようと再開した趣味で疲れてしまうので、休日はただひたすら寝ることに。

そして、気づけばただ無気力で日々を生きるだけで精一杯。

やばい。

人から憐れまれるような大きな不幸じゃない。

だから、なんとなく愚痴りづらいし、自分がダメなんだろうなあと思って、改善しようとする。

でも、緩やかに自分の中の何かが死んでいく。

死にたいわけではないが、限りなく無に近づいているのは分かる。

こういう時ってどうしたらいいのだろうか。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次