否定も批評もせず話を聞いてくれるだけで人は救われる。

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知人が大変なことになった。
本人の為に詳細は言えないけれど、今後の人生を左右してしまうかなり深刻な事態だ。

2ヵ月前に会った時にもいつも通りだった。実は裏では前から大変だったらしい。

「相談してくれればよかったのに」

知人の奥さんはそう言った。僕自身もそう思った。
しかし、そう思った直後に「いや、自分がそうだったら無理だろうな」とも思った。

たとえ自分の選択が間違っていると分かっていても、自分の生活や命を繋ぐ為に選択しないといけない時が人にはあると思う。

それで上手くいった時はいい。でも、もし上手くいかなかったら。

怒られるかもしれない、非難されるかもしれない。だから人には言えない。相談できない。
不安、恐怖。それに加えて、周りからの期待、頑張りたいという自分の想い、その他諸々。

気付けば、もう取り返しのつかない事態になって、肉体的にも精神的にも追い込まれ、

「もう限界だ…」

その時に初めて隠してきたことが明るみになる。

頑張ればどうにかなると思ったし、一生懸命頑張ったのだと思う。
それでもどうにかならなかった。

どれだけ不安だったのだろう。
どれだけ不安だったのだろう。

「相談してくれればよかったのに」

そうは言っても当事者になってみると言えないことはたくさんある。
仮にその時に相談したとして、非難もせずに僕は力になれただろうか。

ただでさえ、自分が追い込まれている時に「これを言うと非難されるかもしれない」と思うと、相談することは難しい。

僕にもそういう経験はある。

そんな時に僕が欲しくて欲しくて堪らなかったのは、何を話しても馬鹿にせず、怒らず、批評せず、とりあえず「大丈夫じゃない?何とかなるんじゃん?」と言ってくれる人だった。

いつも暇そうで、担任にも友達にも家族にも相談できないことが何か話せてしまう保健室の先生のような存在。
(実際の保健室の先生が暇ではないことも、そんな先生ばかりではないことは置いといて)

人の話を否定せず、批評せず、ただ聞いてくれる。可能であれば肯定してくれる存在がどれだけありがたい事か。

今回の知人のトラブルに関しては、微力ながら力になれればと思うし、無事解決してくれることを願うしかない。

でも、今もしかしたら知らず知らずに誰かの「心の叫び」を封じ込めてるのかもしれない。
それはとても悲しいから、まずは身近な人の話を否定せず、批評せず、聴けるようになろうと思う。

自分があの頃欲しかった存在に。

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