葛飾北斎。
その名前を聞いて、あなたはどんな事を思い浮かべるでしょうか?
僕が頭に真っ先に思い浮かんだのはこの絵。
北斎の代表作として有名な『富嶽三十六景』の『神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)』
絵の名前は知らずとも、日本人であれば必ずどこかで見たことがある有名な作品です。
多くの人にその存在を知られながら、その一方で「江戸時代に有名だった浮世絵師」というふわっとしたイメージが、葛飾北斎への多くの人の認識だと思います。
僕もそうでした。
ですが、そんな日本での評価の低さとは反対に海外では非常に評価の高い葛飾北斎。
どれほどかと言うと、世界の美術史を語る上でレオナルド・ダ・ヴィンチら超一級の巨匠と並び称されることもあるほど。
そんな葛飾北斎の絵師人生を、数多くの作品と作風の変遷とともに紹介してくれるのが、現在六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催されている『新・北斎展』です。
本音を書くと、実は本展示会の音声ガイドの声を担当している講談師・神田松之丞さんの音声聞きたさに足を運んだ『新・北斎展』
ですが、実際に観覧して驚きました。
葛飾北斎ってこんなに格好よかったのか!
今までふわってしたイメージしか持ってなかった自分が恥ずかしい…(^^;
日本が誇る浮世絵師・葛飾北斎の真の姿に迫る『新・北斎展』はチャンスがあるのなら是非見てほしい企画展です!
そこで今回は『新・北斎展』について書こうと思ったのですが、いくら言葉を並べたところで「百聞は一見に如かず」
その絵の持つ力には敵わないだろうと思いました。
そして、今回僕が「カッコいい!」と思ったのは作品もそうですが、それ以上に絵に対する北斎の情熱です。
これを知らない事には葛飾北斎という人間の面白さや格好良さというのが伝わらないんじゃないかと思いました。
そこで今回は『新・北斎展』の紹介ではなく、『新・北斎展』で僕が知った葛飾北斎のエピソードと絵を見て感じた事をまとめてみました。
少しでも興味を持ってもらえたら是非『新・北斎展』に足を運んでいただけたらなと思います。
30回以上も改名をした葛飾北斎。
葛飾北斎について書く上で、まず一番最初に認識を改めないといけないのはその名前です。
実は僕らがよく知る『葛飾北斎』という名前は一時名乗っていた画号であり、なんと彼は90年の生涯で30以上もの改号((ペンネーム・芸名を変えること))をしています。
ちなみに代表作である「神奈川沖浪裏」を描いた時の画号は『為一(いいつ)』といい、あの絵には『前北斎為一筆』と書かれています。
北斎の絵師としてのデビューは20歳の時。当時の絵師のキャリアとしては遅いスタートだったようです。
その時弟子入りしていた師匠の一文字をもらい『勝川春朗』と名乗ったのが葛飾北斎の絵師としての最初の名前でした。
新・北斎展ではそんな葛飾北斎のデビュー期の『春朗』時代から、最後の『画狂老人卍』時代までの大きく6つの時代に分けて絵を展示しています。
- 勝川春朗(かつかわしゅんろう)
- 宗理(そうり)
- 北斎辰政(ときまさ)葛飾北斎
- 戴斗(だいと)
- 為一(いいつ)
- 画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)
今も昔もそうですが名前を変えるというのはデメリットの方が多く、というのも役者にしても絵師にしても人気商売は名前を覚えてもらうのがとても大事なこと。
自分の商売の看板として重要な役割を担っている名前を頻繁に変えるというのは「今までのキャリアを捨ててイチからのスタート」という事に他なりません。
ですが、北斎はそんな事を気にも留めず画号を変えていきました。
時にはお金を工面するために弟子に画号を売ったこともあったんだそう。
そこには絵師としての地位や世間体など関係なく、絵筆一本で世の中を渡っていく自信と、細かい事を気にしない江戸っ子ならでは気風の良さが窺えます。
さらには売れた名前ではなく、純粋に自分の絵そのものの真価を問うという事もあったのだと思います。
ただ、絵で評価してほしいというその心意気、そして結果を出しているんだから本当にカッコいいですよね。
そして、北斎は画号とともに画風も大胆に変え続けました。
自身の名前だけでなく、画風も常にアップデートし、ただひたすら絵の神髄を追い求めたのが葛飾北斎という男なのです。
そして、その画風は幅広く、とても同一人物が描いたとは思えません。
仕事を選ばず、様々な作風に挑戦していた。
また北斎は仕事を選ばず、どんな雑多な仕事にも引き受けた事でも有名でした。
お金持ちから依頼された個人的な読み物の絵からすごろく、菓子袋にまで絵を描いていたそうで、その北斎の絵への熱意が海外での日本ブームの火付け役にも繋がったんだとか。
輸出された日本陶器の包装紙としてたまたま使われていた北斎のスケッチ集が西洋における空前の日本ブームの火付け役となった。
ブログ『無理するな 楽するな』より
無名で仕事を選ばなかったのならまだしも、絵師として名が売れた後にもそうだったというのだから絵への情熱は並々ならぬものだったことが感じられます。
学んでいたのは日本画だけでなく西洋画も勉強していて、油絵にも挑戦していたそうです。
『新・北斎展』ではその時代時代で変わる北斎の絵の作風の変化も楽しむことができます。
中でも今回の展示品の中に「生首」という作品があるんですが、これが陰影をつけたデッサンでまるで写真みたいにリアルなんです。
ですが、僕らも良く知る当時の浮世絵に描かれる日本人というのはデフォルメされた瓜実顔のイメージ。
日本人がこういった描かれ方をしていた当時からすると、西洋画のような写実的な絵というのはかなり新しかったんじゃないでしょうか。
さらには他にも色々な試みを行っていて、『組み上げ灯篭絵』((今でいうペーパークラフトみたいなもの))
そして、へのへのもへじなどでお馴染みの『文字絵』なども描いていました。
子供のお遊びの文字絵も葛飾北斎の手にかかれば見事な芸術作品。
輪郭の線にその絵のモデルである歌人の名前を使って絵を描いているのですが、言われないと気づきません。
他にも変顔やおかしなポーズなど笑いにも挑戦していた北斎。是非それらの作品は会場に行って見てみてください。
構図や描き方、技法などとにかく革新的で常に時代の先を行っていた。
とにかく様々な作風や絵の技術を学び取り入れていった葛飾北斎。
彼の描く絵の構図や描くテーマや切り口はがとにかく斬新で常に時代の先を行っていました。
遠近法を使った奥行きのある絵というのは今では当たり前ですが、当時としては革新的で西洋画からその手法を学んだ北斎はいち早く自らの絵に取り入れました。
と言ったかは分かりませんが、今までになかった遠近法を使った浮絵は大きな反響を呼びました。
今で言うと3DやVRくらいの衝撃はあったんでしょうか。そう考えると凄いですよね。
また北斎は踊りの教則本なども描いているのですが、そのコマ割りの見事さもさることながら、さらには動きを表す効果線も使って絵を描いています。
効果線というのは漫画にもよくある動きを表現する線のこと。
さらには、春画では「視覚だけでは興奮させられない」と絵の横に台詞を書いて、読んでいるうちに興奮してくるような仕組みを考えました。
今の漫画の吹き出しのセリフみたいなものですよね。
もちろん現代で使われているもの程とは言いませんが、凄いのはその発想力。
江戸時代に、線によって絵に動きをつける、台詞を書いて音を表現するというアイデアを思いついたあたり、どれだけ北斎が時代の先をいっていたかが分かります。
そしてあの有名な富嶽三十六景も当時の風景画としては革新的でした。
というのも当時はそれぞれの観光名所を描いた土産もの、今でいう絵ハガキみたいなものが風景画の主流でした。
その為、場所に重きを置くのではなく、自然の風景の一瞬の美しさを切り取った絵というのは革命だったんです。
どれくらい革命的だったかというと、あまりの人気ぶりに「富嶽三十六景」をあとから追加で10作品追加したほどです。
とにかく、貪欲に絵に関して学び追求し常に時代を先取りしていた絵師、それが葛飾北斎です。
余談:琉球八景について
これは完全に余談ですが、葛飾北斎は沖縄を題材にした『琉球八景』という作品も描いています。
ただ、北斎自身は実際に沖縄に行ったことはなく、当時あった琉球に関する本を読んでそれを元に描いたようです。
北斎が想像で描いたという琉球八景の嘘アジア感すごい pic.twitter.com/10XY5W3KzU
— BABY.. (@babyburgerbooks) 2018年1月19日
ですが、そのまま模写せず原図にはない雪を南国の琉球に降らせたりしているあたりが遊び心があるというか、面白いところですよね。
沖縄出身の僕としては「富嶽三十六景」と同じくらい興奮する作品です。
新・北斎展ではこの『琉球八景』のうち、
- 泉崎
- 久米村
- 龍洞
の3作品を観賞することができます。
50歳を超えた頃には全国に200人もの弟子を持つ。
人気絵師として革命的な作品を描き続けてきた葛飾北斎。
その人気から50歳になる頃には全国に弟子をもつようになりました。
その数なんと200人。自身の絵も描きながら、弟子ひとりひとりに教えるのは大変です。
そこで北斎は自らの絵の手本集を版画にして出版しました。
これが海外で『ホクサイ・スケッチ』と呼ばれ、現在の漫画の原型ともなったと言われる『北斎漫画』です。
この記事で紹介できるのは著作権切れしたごく一部しかですが、その絵のイキイキとした感じは見ていて楽しい気分になります。
通常、師匠から弟子へ教える絵の技術というのは門外不出ですが、それを出版して世に出してしまうあたり江戸っ子の北斎らしいです。
自分が培ってきた絵の技術を惜しみなく、後進の絵師たちに与えました。
この北斎漫画は弟子のためということもありましたが、実は北斎自身も楽しんで描いていたようです。
たしかに絵から楽しさが伝わってきますよね。
この北斎漫画の中には北斎が絵を描く時の物の捉え方、描き方のようなものも記されています。
イメージとしては漫画で人物の絵を書くときのアタリのようなものです。
↓こんなの。
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完成された作品だけでなく、北斎がどのように考えて絵を描いていたか。
天才絵師・北斎の脳内を覗けるような面白さがあって、また違う視点から北斎の絵を知ることが出来ます。
死の間際まで絵の神髄を追い求めた。
七十年前画く所は実に取るに足るものなし
葛飾北斎が75歳の時に富嶽百景のあとがきに書いた、この言葉。
全国に弟子を200人ももち、既に一流の浮世絵師として名を馳せていた葛飾北斎ですが、それでも彼の絵に対する向上心というのは留まることを知りませんでした。
七十年前画く所は実に取るに足るものなし(70歳までに書いたものは取るに足らない)
当代随一の人気絵師が今までの自分の絵を否定したのです。これだけでも驚きですが、この文章の後にはこう続きます
73歳になってから、やっと鳥やけだものや虫や魚の本当の形とか、草木の生きている姿などがいくらか分かってきた。
だから90歳になれば、よりいっそう奥まで見極めることができ、100歳を超えた頃には作品の一つひとつ生きているように描けるだろう。
北斎は70歳を越えてなお「まだまだこれから自分は成長できる!」と宣言し、さらに絵の神髄を極めようと描き続けました。
現代でも70歳となると高齢です。今より平均寿命が短かった江戸時代ならなおさらそうでしょう。
ですが、そんな歳になってもまだ自分に可能性を感じ新たな挑戦ができるなんて、ものすごいカッコよくないですか?
ちなみに代表作でもある富嶽三十六景も70歳を越えてから描かれた作品です。
『新・北斎展』ではその晩年の作品も観ることができますが、素人目にも分かるほど絵のタッチや傾向が変わります。
ここに来て、また新たなことに挑戦する、自らをアップデートしようとする情熱が絵から伝わってきて、感動すら覚えました。
そんな葛飾北斎ですが、90歳でその生涯を閉じます。
当時としては異例の長寿でしたが、それでも死の間際に「神が後10年、いや5年生かしてくれれば本物の絵師になれるだろうに」と嘆いたそうです。
常に自分をアップデートし続けた葛飾北斎の壮大な絵師人生を体験してほしい!
死の間際まで絵の神髄を追い求めた葛飾北斎。
今回の『新・北斎展』では、そんな彼の名品を多数観ることができます。
実はその膨大な絵の数から、まだその全貌が明らかになっていない葛飾北斎。
北斎が生涯で描いた作品は30000作以上と言われています。
そんな多数の北斎の作品の中でも近年発見された作品、日本初公開の作品などが今回の『新・北斎展』では展示されています。
また、今回の企画展は北斎研究の第一人者として有名な故・永田生磁氏のコレクションを核として構成しています。
その永田生慈氏の意向により、この『新・北斎展』を最後に、これらのコレクションは今後、島根県外での展示はしないことになっています。
そのため、これだけのクオリティの葛飾北斎の作品を東京で一挙に見る事ができるのはこの『新・北斎展』だけなのです!
なので、せっかくチャンスがあるのなら是非見に行ってほしい!
イラストや漫画など絵を扱う方はきっとその表現の豊かさは必ず勉強になると思います。
また、絵に携わっている方でなくとも、北斎の作風の変化やその表現の豊かさなど今まで浮世絵に興味がなかった方でも楽しめる企画展となっています。
個人的には会場でレンタルできる音声ガイド(有料550円)の利用もおすすめです。
貫地谷しほりさんと神田松之丞さんの語りによって、当時の時代背景や北斎にまつわるエピソードを楽しむことができます。
絵だけを見るのもいいですが、音声ガイドを聞く事によって点と点が線になり、まるで作品とともに北斎の生涯を追っているような気分になります。
まだ始まったばかりの『新・北斎展』
是非とも足を運んでみてください!
会期:2019年1月17日~3月24日(会期中、展示替え有)
開館時間:10時~20時(火曜日のみ17時まで)
入館料:一般1600円 高・大生1300円 小・中学生600円
休館日:1月29日㈫、2月19日㈫、2月20日㈬、3月5日㈫
会場:森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52階)
アクセス:東京メトロ日比谷線「六本木駅」 都営地下鉄大江戸線「六本木駅」
お問い合わせ:03-5777-8600
▼音声でも話してみました。▼