ヒマな時間を迎えにいく。暮らしの中に休符をかんじる。

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(この記事は2018年9月14日にnoteで公開した記事です。)

 

以前、何かの本で読んだ話。

インターネットやスマホの普及で、現代人は暇だと感じる時間は極端に短くなっているとのこと。

その時間は数秒から数十秒。

昔は10〜30分単位で暇だと感じていたのに対して、今はもう1分ともたないそう。

 

ヒマに耐えきれない。この感覚はすごいわかる。

なんだか怖いんですよね、何もしていないヒマな時間って。

でも、最近はそれをぐっとこらえてでも、

本当に何もせずにただボーッとする退屈な時間、を意図的につくらないといけない

と思うようになりました。

 

そう思ったキッカケは、子供の頃から習慣だったメモや、上京してから6年書き続けていたライフログが書けなくなったからでした。

以前は何か街中で気づいたことがあればメモを取りアイデアをふくらませたり、どんなに忙しくても時間を作ってライフログを書いていたんです。

でも、気づいたら、それらがまったく書けなくなっていました。

書かないんじゃなくて、書けないんです。

なんか頭と心が疲れているというか、何も書きたい欲もアイデアもわいてこない。

そして、常に何かに追われているような感覚もありました。そんな事よりも何か有益な情報をインプットしないと!

気づけば、ゆっくり文字もかけなくなっていました。綺麗に文字を書くよりも、とにかく走り書きで、とにかくインプット、インプット、インプット。

 

あ、これはヤバいなと。

 

自分の思いをゆっくりとノートに書き記す事もできないくらいに、「早さ」や「有益」に飲み込まれている気がしました。

そう思ったので、意図的に何もしない時間をつくることに。

 

ちょっとした時間を「スキマ時間」と呼んで、仕事時間の補填にあてさせたり、自らのお金のために他人の時間とお金をかすめとっていく暇つぶしビジネスだったり。

色んな人に自分の時間が狙われている中で、何もしない時間を自分でしっかりとつくらないといけないなと思ったわけです。

退屈な時間をつくる、っていうのもおかしなことだけど。

 

以前、ミュージカルの先生に「休符は音がないんじゃなくて、そこに余白があるんだ。しっかり休符も感じろ」と言われたことを思い出しました。

しっかりと休符を感じる。

「休符」の画像検索結果

もしかして、ふだんの生活も同じなのかもしれないね。

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