(こちらの記事は2018年8月25日にnoteに掲載したものです)
この前、ひさびさにロボ店員さんを見た。
ロボ店員さんってのは俺が勝手に呼んでる呼び名で、ロボットみたいな接客をする人。
コンビニとかスピードが要求される現場に割と多い。
別に懇切丁寧な接客をしてほしいなんて言ってるわけじゃないんだけど、なんか嫌なのです。
こういう人を見ると、漫画ニーチェ先生のあのセリフをいつも思い出します。
あなたはベルトコンベアを流れる段ボールにいちいち名前をつけるんですか?
そう。あの時、ロボ店員さんにとって俺はひとつの段ボールだった。
この人は「俺」を見ていない。
そう思うと、なんか悲しくなるのですよ。
最近、色んな所で見るようになったペッパーくん。
彼はまだロボだからかわいいけど、人は表情が豊かな分怖い。
油断も隙もない正確丁寧なテンプレートな対応をしながら、目の奥は一切笑っていない。
正直いって、丁寧な接客とは程遠いフランクな店員の方が好感が持てる。
こういう人を見るたびに思うのが、どうやって人はロボ化していくのか、ということ。
もともと、人に、もしくは作業に興味がない人なら分かる。
でも、そうじゃない時もある。
それは「客が店員をモノ扱いする時」
効率化の仕組みの中に人が組み込まれると、なぜか人も同じようにモノのような扱いをされだすのはなんでだろうなぁ。
まるで、店員が存在もしてないかのようにスマホを見ながら声だけ応対する客。
「客は神様だから、何してもいいんだろ?」と言わんばかりに店員をぞんざいに扱う客。
こちらが懇切丁寧な接客をいくら心がけても、それが全く無意味だとしたら、そりゃやる気は起きない。
こんな扱いをされたら、誰だって傷つく。
さらに、横柄で理不尽なな対応なんかされた日にはなおさら。これ以上、傷つきたくないから業務として割り切る。
心を機械化する。
こうして、ロボ店員さんが生まれる。と思っている。
なぜなら、過去に俺がそうだったから。
心を疲弊させないための防御策であるわけです。
でも、仕事で自分をロボ化するとプライベートにもロボ化の波やしわ寄せがやってくるから、それはそれで危険。
そんな時に目を覚ますキッカケとなったのが、イレギュラー。
たとえば、支払いを済ませた人が商品を取らずに帰ろうとしたり、ポイントカードと思って出したものが免許証だったり。
思わぬことがあると、お客さんも自分もふっと素になる瞬間があって、その時に互いに焦りや笑いが生まれた時には人間に戻る気がしました。
だから、たまに迷惑にならない範囲でドジな振りをすることがあります。
なんとかして目の前のロボ店員さんの人間らしい表情を引き出したいと思うのです。余計なことですが。
人間らしいやりとりを失ってまで求めるものなのかと思うわけですよ、スピードや効率、便利さって。
そういうところをどんどんロボットやAIが担っていければと思うんだけど、それにはまだまだ時間とお金がかかりそうですね。
人をモノのように扱ってすり減らしていくこの社会、どうにかならんものかなぁ。
とりあえず今俺にできるのはちゃんと店員さんの目を見て「ありがとう」を伝える事ですかね。