大学でミュージカルと出会って、そこから約5年間、演劇やダンス、歌にどっぷりな生活を送ってきた。
大学卒業後プロを目指し始めると、最初は楽しさだけで踊っていたものも、就職に有利な資格のように「これは使えるか?仕事になるか?金になるか?」という考えが強くなってきて。
上京してからしばらくして役者として食っていくことを諦めてからは、踊ることもほとんどなくなってしまった。
でも、たまにふと踊りたいなと思う時がある。
そのたびに「レッスン代もかかるし、踊ったところで別に何かの役に立つわけじゃない」と思い、心の中に生まれたダンス欲をかき消してきた。
ただ、この歳になって少しずつ感じてきたことがある。
それは僕らにはどんなに踊りたくてもいつか踊りたくても踊れない日が来るということ。
体は確実に老いていく。昔ほど体が動かない。イメージと実際の動きのズレ。これは若い時には分からなかった感覚だった。
もちろん、ただの運動不足というのもあるけれど(笑)でも、若い頃より老いというものをずっと意識するようになった。
ああ、俺の体はいずれ動かなくなるんだ、と。
踊りたくても踊れなくなる日が来るんだ、と。
そう思うと、なんだかものすごい焦燥感にかられた。
もちろん、歳とってからも踊れる踊りもある。
俺が習っていたタップダンスや社交ダンスなんて、その最たる例でおじいちゃんでも華麗なステップを踏んでいる人はたくさんいる。
でも、
踊れなくはないけど、多分その時しか踊れない踊りがある。若いころにしか踊れない踊りが。
それをしないって、俺は今ものすごくもったいない事をしてるんじゃないのか。
ファッションもそう。
歳取ってからも着れなくはないけど、その時着た方がずっと似合う服がある。
この前おばちゃんで、ものすごいゴスロリ系のファッションをしている人を見かけた。
別に歳を重ねる事が悪いというわけでもないし、歳不相応なことがイタいというつもりもない。
むしろ世間的にはイタいと思われるようなことをしている人は心の底から尊敬する。
それ見て笑ってる奴らには、「お前ら同じ事出来んのかよ」と憤りすら感じている。
格好じゃなくて、心持ちの話。
ただ、同じやるにしても旬ってものがあるんじゃないかと。
過ぎてしまって気づいてしまったなら仕方ないけど、できることなら旬な時に楽しみたい。
もし仮にその旬が今だとして自分もそれをしたいと感じている。
なのに「でも、これって俺っぽくないしなぁ」という変な自意識でやらないってもったいないんじゃないか。
後回しにして貴重な時間を無駄にしてしまうのはもったいないんじゃないか。そう思うようになってきた。
別に上手くなくても金にならなくてもいいから、踊りたければ踊ればいい。
踊りたいなら、今踊ろう。踊りたくても踊れなくなる日はいつか来るから。
そう思うようになった。
なので、もしあなたがやりたいと思ってることがあって、その旬がもしも今なら。
たとえ向いてなくてもやった方がいいんじゃないかと思う。恥ずかしいなら、こっそりとでもいいから。
たとえ周りから変と言われても、お金にならなくても、それはとても素敵な事だと思う。