来週で俺は30歳になる。
20歳過ぎたらあっという間とはよく言うけど、正直言ってこんなに早いもんだと思わなかった。
「これで大人の仲間入りだ!酒も飲めるぞ!」
「あ」
「もう三十路かぁ」
感覚的には本当にこんな感じ。
このままだと、
「あ」
「あ」
「あ」
「あ」
「あ」
これで人生が終わってしまいそうで、本当に怖い。
特に今年は20代最後の年でかなり意気込んだものの、たら、たら、してたら特に大きな変化を迎える事なく誕生日を迎える事になりそうだ。
そんな30代を前にした今、強く感じているのは「いつかは絶対来ない」という事。
月並みな言葉だけど、「たらればは無いし、いつかは絶対来ない」
これを強く感じている。本当に「今がすべて」
この1年恐ろしいほど何も変わらなかった。
このブログで何度も書いてるけど、一昨年の大晦日に4年付き合って、3年同棲した彼女と別れた俺。
その時に思ったのが、絶対変わって見返してやるということ。
20代最後の年というのもあって、その時の思いはいつもより強かったと思う。
ただ、部屋の退去の手続きや後処理、退去に伴い発生する費用の高額請求、その返済。
「引っ越しが終わったら」
「後処理が終わったら」
「借金を返済したら」
気づけば、あっという間に1年が過ぎていた。
毎朝起きて顔を洗おうとすると、鏡に映るのは疲れた顔の三十路前のおっさん。
泣きたくなった。
「いつか」と思ってた日は来なくて、ただ同じことの繰り返しで無駄に日々を過ごしてしまったことに。
世界一周旅行から帰ってきた友達の言葉
そんな時、世界一周旅行に行った友達が日本に帰ってきて、会って話す機会があった。
世界一周。
そう聞くと、とてつもないことのように俺は思えるのだけど、旅をした本人はいたって普通。
「行きたかったから、行っただけや」
そう笑顔で語る彼は悔しいけど、旅前よりも凛々しくカッコよく見えた。
同じ29歳の過ごし方でもなんて有意義なんだろう。
それに比べて、まぁ俺の惨めなこと。
途中から旅の話を聞く楽しさより、自分の惨めさに泣きたい気持ちの方が勝っていて、素敵な世界遺産の話も半分も頭に入ってこなかった。
そして、気づけば話題は互いのこれからやりたい事の話に。
これからのやりたい事を楽しそうに語る彼に対して、どん詰まりの俺は「お金が貯まったら、生活が安定したら」と話をはぐらかしていた。
すると、そんな俺に業を煮やしたのか、彼は一言こう言った。
「それっていつなん?」
「金が貯まったら、生活が落ち着いたらって、それいつなん?『たられば』言ってても何も始まらん」
それから、彼はこう続けた。
『悩む』ってことは『やりたい』ってことやん。やりたいなぁって言ってたら、誰かが連れてってくれるん?やりたいことはやるしかない。悩むんなら、どうやって実現するかを悩め。やるか、やらんか。人生はシンプルなんやで。」
何も言い返せなかった。まったくその通り。
悔しかった。何もしてこなかった自分が情けなかった。
自分で今動かないと、その時は一生来ない。
ちょうどいいタイミング、何かがひと段落して落ち着くときなんて待ってても一生来ない。
来たとしても、それはほんの一瞬だろうし、すぐに次の何かがその空いた隙間に入ってくる。
だとしたら、今この瞬間から自分で少しずつそんな時間を作っていくしかない。
今、行動するしかない。
そんな当たり前の事が、この1年無駄にしてやっと腹に落ちた。
ここまでに書いた言葉はおそらくどの自己啓発本にも書かれてるし、聞いた事あると思う。
現に俺も「そんなの知ってるよ」と思ってた。
でも、「知っている」と「分かっている」は天と地ほど違う。
俺はバカだから1年、いや、もっとたくさんの時間を無駄にして気が付いた。
「準備できたら。貯金できたら。時期が来たら。
たら、たら、たら。
『たらちゃん』は漫画の世界ですよ。
小さくてもいいから、まず行動しないと」好きだった経営者の方の言葉。
— 小林亮平@仮想通貨ブログ (@ryoheifree) 2018年3月12日
だから、きっと今の俺より若い人にはもしかしたら分からないかもしれない。それでも言っとく。
「たらればは無いし、いつかは絶対に来ない」
でも、すぐ大きな変化を起こすには勇気がいるし、それが簡単に出来てたら、こんな風に悩んでない。
だから、小さくていい。
今日、今動こう。
小さくていい。
今できる範囲でいいから行動を起こそう。
今に変化を起こそう。まだ時間はある。
最後に、友達はこうも言ってくれた。
「過去はもうないもんだから、これからの人生で今が一番若い。だから大丈夫や」
大丈夫。まだ間に合う。今から行動を起こす。
最後にRENTのNo Day But Todayを。