『若いうちの苦労は買ってでもしろ』
そんな言葉があるけど、それって本当なんだろうか。
「成功したい」
「幸せになりたい」
でも、そのためには、
「苦しい努力しなきゃいけない」
そんな固定概念がある気がする。
別にラクをしたいと言ってるわけじゃない。
いや出来るならラクはしたいけど(笑)
ただ『努力』の意味を「苦しい思いをしながら頑張ること」ととらえるのはちょっと違うのかもとこの記事を読んで思った。
苦しい思いをしなきゃいけないという呪い
「クソみたいな思い込み」
本当よく言ってくれたと思う。
気付けば僕らは、
行動する事そのものよりも
苦しい思いをすることを基準に生きてないか?
ドラマでもマンガでもダメな主人公が苦しい修行を乗り越えて成功するなんていうストーリーが人気だし、やっぱり読んでて面白い。
だけどさ、現実にはそうじゃない人もいるんじゃないんだろうか。
ってかいる。
その人たちは努力なんかしたつもりはなくて、夢中になってずっとやってたら気付いたら成功してたそう。
苦しもうが楽しもうが行動したことが全て
僕らが目を向けるべきは、「苦労したかどうか」よりも「どれだけ行動したか」なんじゃないんだろうか?
苦労って言葉を辞書で引くと、
精神的、肉体的に力を尽くし、苦しい思いをすること。
と出てくる。
でも努力って調べると、
ある目的のために力を尽くして励むこと。
って出てくるんです。
苦しい思いをするなんて一言も書いてない。
きっと大事なのは苦労する事じゃなくて行動する事なんだと思う。
とすると、
苦しもうが楽しもうが行動したもん勝ちなんじゃない?
そこを勘違いすると不幸がはじまると思う。
【心が風に、なる】
「頑張った。こんなにしんどかったんだから成功するはず」
↓
「結果がでなかった。苦労が足りないんだ」
↓
だんだんしんどくなる。
↓
そんな時、大して苦労してなさそうな奴が成功した。
↓
「なんであいつが!あいつは運がいい。もしくは何か汚い手を使ったにちがいない」なんて悪態をつく。
↓
はじめに戻る。
なんてことになりかねない。
こんなループ、想像するだけでこわい。
いくらやっても苦しくないことをやる
月並みな言葉だけど、「自分の好きなこと」をやろう。
お金をもらえなくてもやってしまうこと。
時間も忘れてしまうくらい夢中になれること。
結果を出すためには楽しもう。
そんな時間を毎日に少しずつ増やしていくともうすでに幸せなんじゃないかとそんな事を思いました。